期待しないほうが良いというけれども

新しいことを始めると少しながら期待をする
期待しないほうが良いとよく言われるし、それが最適解とされる
だが、少しも期待しないで行動なんてできるのだろうか

確かに行動が終わってしまえばそれ以上動く必要はない
しかしその行動に移るまで望みが何もないのだろうか
始まりは、欲からくるものではないのか

できることをする
軌道に乗りさえすればやることがわかる
だから次々に行動に移ればよい
わかっていればできる
最初からわかっていることなんてないけれども

…期待しないという言葉を使うのは、行動がどのようになるか経験しているからだせる言葉
期待をして、期待を裏切られた経験は、確かに振り返ると多くある
期待をしなくなった
そうすると物事を受け入れやすくなった
そして想定外という事態も楽しむ余裕がでてきた
見慣れた場所で見慣れた行動
安心感がある
何をすればいいのか明白である
だが、新しいことに取り組めなくなった

専門的なスキルは、古いままでは時代の流れについていくことが難しいため新しいことに取り組む必要がある
だが、人生それだけではない
人それぞれの願望がある
…私の場合は、今のところ興味が少しでもでたことを取り組み経験したい

しかし、経験を重ねることで願望も変わるだろう
変わったとき、何をすればいいのかわかるものばかりではない
何の期待できないことが願望になるのだろうか

…与えられた願望には、私は期待しない
私からでてきた願望でないのなら、私から行動するための気力がだせると期待できない
だが、私からでてきた願望には、期待する
なぜなら自分にあるものが分かっているから
この期待は、外部に与えられた期待ではないと確信をもっているから
どう転んでも私は、経験を得て成長することができるから

今の自分が好きだから

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…敵となった時に一番厄介な敵は、自分自身
今の自分が嫌いだと意識がある間、最初から最後まで敵にすることになる
自身に批判的な言葉を自分自身が向けた場合は、どうすればいいのか
私は、批判的な言葉を肯定的に見るようにした

なぜなら、自分が意識を向けているものにしかその言葉がでてこないからだ
そして、そもそもその批判的な自分は、大事な自分が持つ能力そのものだ
…私の考えでは、もともとは、小さい頃から持っていた能力だ
それが、ある時上手く循環しなくなった
私の場合、良くあろうとし続けて、批判的な言葉をよしとしなかった
よくある良い言葉や優れた者の規範
与えられた善悪の概念
…これは、私が人の影響をとても受けやすい性質だったのもある
自分と関わりを持つ人達は、みんな大事なことを教えてくれたし、学ばせてもらった

結局のところ、自分が持った疑問は、自分で解決できる
けれど、誰かに与えられた疑問は、一度詰まってしまうとずっと詰まったままだ
その詰まった積み重ねが思考の循環を徐々に破綻させて循環できなくなる
その循環が破綻しか結果、批判的な言葉を使う自分自身となる

もともとの批判的な言葉を自身をかけてくる自分自身の役割は何なのだろうか
私の考えでは、自身が持った考えはどんなものか知るための手助けするものだと思っている
対象の物事の比較、対象の物事の物差し
そう考えると、批判的な自分自身を受け入れられるようになった
すると、自身を批判的な言葉で責める自分は、いなくなった

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私が自分の考えと他者の考えが混ざってしまった時の思考の分離方法
および思考の毒抜き

…ここに至るまで、今持つこの考えは自分が生み出したものか?
または、誰かに言われて持ったものか?
どのぐらいの割合で自分が生み出したものか?
(なんとなくの適当な割合でいい。本当に適当でいい)
何の出来事がこの考えを持ったのだろう?
(自分が生み出した割合に対してどんな風に生まれたのか思い出して考える)
この考えは、自分にとって有益なものか?
苦しみを生み出していないか?
(有益だとしても苦しみを生み出しているかどうかが重要)

もし、誰かに言われて持ったものが苦しみを生み出すならば、さっさと捨ててしまったほうが良い
そして自分が生み出したものならば、出来事を振り返り、自分を許してやろう
自分を許すことができないと、今の自分を受け入れることは、できない
今の自分を受け入れられないと、自分のことが好きということが、上辺だけとなる
…それだと、自分自身に対する自分の批判的な言葉は、止まらない

結局、疑問を解決できなかったから過去の記憶が苦しみを生むのだと思う
他者のもたらす疑問を解決することは、やはり自分が持った疑問を解決するより難しい
自分が持った疑問は、解決の手段が自分で持っていることが多いし、自分で答えを決めることができる

しかし、他者が与える疑問は、すぐに解決できない場合、自分で解決する手段を持っていることがほとんどない
だから、誰かの力が必要になる場合が多い
だが、機会を逃してしまえば、非常に困難なものとなる
…それが、思考の循環を破壊する要因の一つとなる
もちろん、少しだけなら問題ない
積み重なると例の批判的な言葉がでてくる
…今思うと、早く疑問を解決してくれという自分自身からの救難信号だったのかもしれない

積み重ねるが必要になるので時間は、かかってしまうができるはずだ
なぜならその苦しみは、日々積み重ねることができないと存在しないもの
…すでに証明できているのだ
それは、積み重ねることができる証明の一つだ