初めてSNSをやってみた感想

初めてSNSのアカウントを作ってみた
正直なところ、気になる
だから精神的に良くないと感じる
そして発信と探索をしないと繋がりは、ないだろう
…めんどくさい

精神的に疲れる思う要素の一部
比較
意識する
やらないといけないという概念
これを見事に達成すると感じた

まだ慣れていないからというのもあるだろうか
だとすると意識するということは、克服できそうだ
概念に対しては、そもそもの目的を見失わないようにすれば対処できるだろう
比較は、比較することで起こる不幸を意識していれば取り込まれないはず
…良いことあるのだろうか?

良いと思えた要素は、フォローした対象が発信した情報を見ることが可能なこと
…今のところあんまりないな
まあ、数時間だけだからわかることのほうが少ないか
SNSをやらない理由、やめる理由が少しわかっただけでも収穫か

実際に行動してみたらすぐに自分にとってどうだったのかがわかる
人によって同じ事象でも感じることは、違う
だから自分にとってどうなのかを知るためには、行動がするのが一番時間をかけずに済むと実感した
…事前に起こりうる危険性だけは、事前に考えておこう
逆に言ってしまえば、経験を得るために行動する前準備としては、危険を考えるだけで良いのかもしれない
良いと思えることは、本当に実際に試してみないと自分にとってどうか分からないと改めて実感した

 

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比較は、情報の完成度を高めるための行動だとする
同じような対象を元に比較を行う
それでは完成とはどの状態を示すだろうか
既にある良いとされるものだろうか?
たしかにそれも指標の一つ
だが個人に限ればどうだろうか
人は、持っているものが違う
良いものも悪いものも意識も
人との比較による完成は、なんだろうか?
…私が思うことは、私の完成は、私にしか決められない
だから、自分自身で決められると言える
他者は、確実に自身ではない
なので他者の言葉を正常に他者の言葉であると認識することができる

個人においては、比較は、自分が持っていた想像(情報)と実際に存在するものを感じた(認識した)ことの比較して情報を正しく認識するためなの行為かもしれない
他者の言葉から得られることは、情報だけであり、実体験を得ることはできない
優れた発信者の言葉は、実体験を得たような感覚になるが、それは、想像なのだ
もし、その言葉の出来事を経験する機会があるのなら、その言葉ような感想が出てくるだろう
だが、実際に感じることは、その言葉にない感覚も得ることができる
それが、自分自身でしか得られない経験なのだ